「永代供養」と「永代経」の違い ※ちょっと長いです
永代経とは、所属寺が聞法の道場として、永代に亘って護持相続されることを願い、自らや聞法の機縁となった大切な方の名前で、寄進を行うことです。
お名前は、御命日または寄進日とともに、法名記という台帳(掛け軸)に記録され、そのお寺が存続する限り、ご本尊に次ぐお寺の宝物として護持されます。
世間一般「永代供養」という言葉に持つイメージとして、一定以上の金員を志納すれば先祖を供養し続けるというような認識があるため、これと混同されがちになりますが、浄土真宗には、そもそも「永代供養」というお扱い自体が存在しません。
浄土真宗では亡き方を諸仏という仏様とします。私たち迷える者が仏様に対して、お経を上げて「差し上げる」、供養「してあげる」、ということは、単純で楽ですが、おかしなことではないでしょうか。
お経は大切な教えが書かれています。その教えを受けなければならいのは、娑婆にいる私たち、今生きている者に他ならないのです。
永代経法名記は、お寺という大切な教えを聞く場所が、後代に相続されてほしいとい願ってくださった方の名前が記され、亡き大切な方の名前で永代経を志納するということは、その方が私に出遭い、去っていかれたことを通して、大切なことに気づかせてくださったということに頭が下がることです。
順信寺では、通常、本堂の御本尊の前に永代経法名記、浄土を現わす内陣の脇に永代経法名軸を安置して、毎朝、当日のページを開帳し、お名前を拝し、偈文をいただきます。
年一度の永代経法要では、その永代経の願いのおかげでお寺があり、お経(教え)をいただけることに感謝をして、お名前が残る方々の御苦労を偲び、次に伝える私たちのありかたを、教えをいただき、みんなで一緒に確かめます。
仏教の教えは、大切な方の死をお寺に任せて、自分に楽をさせるものではなく、苦しみを直視し自分に向き合うことを通して、命を喜べるための教えではないでしょうか。