第二世 冷晃院釋敏梁
法 名 冷晃院釋敏梁
俗 名 禿 敏 雄
生 没 明治41年8月17日~昭和13年10月17日
略 歴
禿全梁の長男。開基住職と共に歌登へ入植。第二世として本院住職に就任し、真宗篤信農民によって拓かれた歌登中央地区の奥、開墾の意気上がる本幌別地区に正当なる真宗を承継すべく、本幌別支院・墓地を設置。40歳で死去の後、第三世住職就任までの間、支院に駐在していた開基住職が本院を守ることとなったため、止むを得ず本幌別支院・墓地は解体された。
第三世 晃信院釋隆雄
法 名 晃信院釋隆雄
俗 名 禿 隆 雄
生 没 昭和3年10月27日~昭和57年9月27日
略 歴
禿敏雄の長男。歌登幼稚園を境内内に誘致、青少幼年教育・教化、歌登町内にある市街地衛星集落の布教を積極的に展開。発展を続ける歌登に報恩の真を捧げ、真宗寺院の寺院たる本意を伝えるべく、地域に根差した教化活動を推進した。
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