報恩講とは
真宗門徒は、一年は報恩講に始まり報恩講に終わると言われています。
また、全ての仏事の基本は報恩講であると言われています。
報恩講は字の通り恩に報いる集いであります。
しかし、現代では恩という言葉も死語に近い状態になってしまったように思います。
そういう意味では今は、恩を報せていただく集いであると感じています。
仏教は出家仏教であり、出家者が悟りに至り、その功徳について、在家者は、布施などをすることにより、自分や他者に振り向けるというかたちのものでした。
それが親鸞聖人によって、念仏のいわれにうなずくことによって、「どの状況でも、だれでも、どこでも、えらばず、きらわず、みすてず」仏に遇うことが出来ることが顕かにされました。その御恩を報せていただく集いが報恩講です。
私たちの先輩方も、そのことを「有り難い」(有ることが難い)と言って、この次から次と困難が降りかかってくる人生を引き受けて生きて往ったのではないでしょうか。
「御恩」を今一度、頂き直すことが出来たらと願います。